競馬YouTuberかく語りき

競馬YouTuber江分輪太のブログです。

マメな屁理屈家

天皇賞春の動画がYouTubeの急上昇に入った。

この春5回目。

そして先ほど、チャンネル登録者数が23,000人に到達。

どちらもありがたいことである。

 

動画を作り始めた時、

「こんな理屈っぽい人間の動画を誰が見るのだろうか」

と思ったのが正直なところ。

 

ただどうやら、こと競馬という種目においては、この理屈っぽさが良いのかもしれない。

それだけ競馬は、どれだけ理屈をこねてもこね切れないほど、複雑で難しいということなんだと思う。

そして、その理屈っぽい動画を喜んで見てくれている人たちというのは、競馬を突き詰めて考えることの面白さを知っている、真っ当な競馬ファンなのかもしれない。

 

「人の個々の本質は10歳までに現れる」

 

後にプロ野球選手になるような子供は、毎日、一人で飽きもせず壁にボールを投げて遊んでいたりする。

後にミュージシャンになるような子供は、幼い頃から楽器をおもちゃ代わりにして遊んでいたりする。

後にお笑い芸人になるような子供は、小学生時分からクラスのみんなを笑わせることに躍起になっていたりする。

無論、どの世界においても10代半ばあたりからの環境や努力で作られる素養というのもある。

ただ、才能や運が足りず、環境にも恵まれず、プロにはなれなかったにせよ、先に挙げた彼らは大人になってからもきっと、草野球を楽しみ、アマチュアバンドやソロで演奏を楽しみ、職場で同僚を笑わせているはずだ。

 

さて、10歳の私はどうだったのか。

 

ひたすら父親から「屁理屈ばかり言うな」と叱られていた。

先日亡くなった母親が「あんたは頭がええからそう言われるんや」とかばってくれていたのが救いだった。

 

そして、ファミコンの「ベースボール」というゲームを、ノートに打率や防御率を集計しながら遊んでいた。

ファミスタ」が発売される前、まだ選手のパラメーターも備わっていない頃の野球ゲームである。

(ランダムに右バッターが出てきても「よし次はバースだ」と言いながらコントローラーを握っていた)

 

今の私と何も変わらないではないか。

「マメな屁理屈家」

私という人間を現すのにふさわしい。

 

そういえば、ゴールデン街という酒場も屁理屈家向きの場と言える。

ただ当然、好かれる屁理屈家と嫌われる屁理屈家に、はっきりと分かれる。

屁理屈を笑いに転化できるか、はたまた愚痴・嫌味におとしめてしまうかの違い。

あの街において嫌われる屁理屈家は「妖怪客減らし」と呼ばれ、最悪、店主から出禁を喰らったりもする。

 

私は常に、アッパー系でハッピーな屁理屈家であらねば、と自らを戒めて過ごしている。